日々のメモ書き
Debian Developerが綴るメモ
アジアカップ シリア戦
新しい代表をはじめてきちんと見た。
パス回しが信じられないことになっていたな。あの早さで回して、回すだけじゃなくてきちんとサイドの危険な部分に出せていたな。一方的な展開で先制。
後半によくわからんPKがあって退場があってよくわからんPKで勝ち越し。微妙な試合だなあ…。
最期の試合のまとめ方がいまいち。同点にされてから落ち着いていたのはなかなかの成長ぶりだね。
一次リーグは調整ということで決勝トーナメントから本気出すということだといいと思う。
西穂・雪上キャンプ三日目
稜線をなめるな。
あまり連続して眠れず。雪のことも気になっていたし。5時ぐらいに隣のテントからごそごそやる音が聞こえてきた。まだ寝てようかどうしようか…。この時間になると体が熱を起こせなくなって寒さを感じるような状態になってきた。6時ぐらいになって段々と明るくなってくる…。外を見ると意外なことに天気が良かった。ガスがないというわけではないが雪は止んでいた。これはあんまり寝ているのもなと思い起きることにする。
また雪を溶かし…。朝御飯はショートパスタ。今日はどうしようかなあと考えながら朝御飯をすませる。三日目ともなるとこの生活にも慣れてくる。ちょっとだけ下山するのが惜しい。
外は若干の粉雪。青空も見えている。撤収作業開始。荷物をザックにつめていく。いろいろと結露して凍結してしまっているのがひどい。ザックの中でもとりあえずは溶けないから水浸しにすぐなるわけではないが…。一通り詰めてからテントの撤去を開始する。しかし完全に凍結してしまってちっとも畳めない。袋に入らない。なんとか別の袋を用意して押し込む。ひどいもんだ。
撤収作業はそれほど時間も取られずに終了。テント札を返却してどうしようか考える。ここまで来たら西穂独標まで行くかどうか迷って、行けるところまで行ってみるかと決意。
小屋の前はほぼ無風。ちょっと安心していた。さて、丸山への道を登り始める。最初は雪だらけの道。急な勾配があって、下山する人がシリセードで下りてくる。登るときには…キックステップで蹴り込まないと登れない。それでもぼろぼろと崩れていくので大変だ。この調子でずっと続くのなら無理だなあ…。と下がしっかりと踏み固められた雪になる。稜線…ということかな。ちょっと踏み外すと崩れるが。アイゼンがしっかり効くようになりこれなら大丈夫かと思ってちょっと登ると…突然台風のような風に襲われた。風上に正対して立つと真っ直ぐに立っていられないぐらい。これも一時的なもの…と思っていたがそうではなかった。稜線ではずっとこの強風が吹いていた。
問題になったのはいくつがあるが…。まず服装。とてもアウターなしではいられない。岩陰にかくれてザックを下ろしてアウターを取り出して着る。着るのも一苦労。基本的には手袋の上からの作業になる。面倒な事故発生。腰のベルトのバックルからベルトが抜ける。とてもじゃないがこれはグローブで作業して挿し直すなんてことができず素手で作業した。30秒程の作業だったが…手が真っ赤に腫れ上がる。アイガー北壁で手袋を落とした人はこんな状態だったのか…と思った。眼鏡もつらい。フェイスマスクの口の部分を外せば曇らないがそれでは唇が凍りつきそうになる。すると眼鏡が曇る。曇るだけならしばらくすれば直るが結露がすぐさま凍る。視界が何がなんだかわからない状態。時々眼鏡を外してグローブで拭ったりもするがとてもじゃないがそんなものでは改善されない。赤テープを発見するのに苦労する。カメラでの撮影も一苦労。マイナス20度近くまで下がった温度計の写真を取りたかったがとてもじゃないができそうにない。
この状況はいかんともし難いなと思いつつしばらく行くと丸山に到着。わかりやすいく道標が立っていていいね。さて、どうするかな…。独標まで行けるかどうか。ちょっと進んでみる。やがて長い登りが見えた。広い稜線だから危なくはないのだろうがガスで先が見えない。初体験の厳しい状況を考えると何かあったときには死ぬなと思った。そこで撤退を決意。戻ることにした。笠ヶ岳かな、雲の合間に少し見えた。赤テープを確認しながら戻る。やがて小屋が見えて…稜線から下りる…と不思議なくらいに風が止む。ほんの数mの差でなぜここまでの違いが出るのだろう。他の登山者の真似をしてシリセードで下る。ちょっとだけ命からがらという感じで小屋前まで戻る。
荷物の整理を再度したあとに下山を開始。二日分の雪が溜まった道は若干歩きにくい。だが下り基調なのであまり問題はない。日差しがまぶしく無風なので勘違いしてしまいそうになったが気温はマイナス15度は優にある。グローブの中で指が痛い。あかぎれになった部分とか深爪をしたかのような痛みがあったり。寒さが与える体へのダメージが段々とでてきたのだろうか。1時間あまり歩くと観光用の小径に戻る。散歩しているカップルのさむーいという声に苛立ちを感じながらも駅の入口まで戻る。アイゼンを外し、ストックを畳み…再度荷物を詰め直し…今回の山行は終了した。
今回は始めての冬山(生活)体験となった。登ったのは丸山だけなので登山をしたというところまでは行っていない。とはいえ冬の山で起こるさまざま、どちらかというと面倒な、体験をし、いくつかの失敗をした。稜線はつらかったが、テント生活自体はそれほどつらくはなく、次に行くときには今回よりも改善することを目標として行ってみたいと思う。今回はかなりの問題点があったから。
- 今回のアルバム(Facebook)
西穂・雪上キャンプ二日目
二日目。何もしてないのにいろいろ起きる。
シュラフの中で過ごす夜は寒くはなかった。ときおりふく風でテントが音を立てるのが気になる。ふっとばされるような風ではないにせよテントが大きく揺さぶられるとちょっと驚く。
朝目を覚ます。テントが揺れるたびに中で雪が降っていたのには気付いてはいたが、起きたらシュラフの上に霜が積もっていた。壁の結露が凍ったものがテントの中で散る。体を起こしてベンチレーションから外をのぞくとやはり雪。ガスも出ていてよく見えない。天気予報どおりということかとあきらめてしばらくゴロゴロしている。
起きてシュラフをしまって…。朝御飯を作り始めたのは8時を過ぎていた。のんびりしたものだ。朝御飯はラーメンと、魚肉ソーセージ…は凍っていた。味噌汁も飲んで、粉末レモネードを作って水筒に詰める。
外に出てみたがかなり雪がつもっていた。この時点で膝まで埋まる。昼には腰まで埋まるようになっていた。トイレに行くのもラッセル。なんともなあ…。丸山の方向をながめても赤テープが見えないぐらいガスがひどい。これで登るのはちょっと気が引ける。あきらめてNHK第一放送を聞く日ということにした。
テントの中でごろごろしていると天気予報は雪だと言っている。 横になっているときにランタンをつけるとうっかり寝てしまうと大変なことになるのでつけない。3時間ぐらい経ったら外に出て雪かき。粉雪だからテントが埋まっていてもつぶされるという感じにはならないが。スコップを掴むと手袋が貼り付く…。
テントの中の結露はひどくなる。テント自体はガスを炊いたときに一時溶けるのだが、結局また結露する。コッヘルなども結露する。カメラはレンズが結露するどころか凍りつく。そのまま凍ったものが溶けてかないから氷が厚くなる。テントに入れてしまった雪も溶けないから水浸しにはならないのだが。
他に低温で起きたことと言えば…。防水袋などが固くなってしまった。結局みんな破れて使い物にならなくなった。低温のところに持っていくときには素材を考えなきゃならないか。ソイジョイなどを補給食で持っていったが凍ってしまってカチカチになっていた。食べられないことはなかったけど。ちょっと信じられないことになっていた。
夕方になって晩御飯の用意を始める。水を作りたいのだが…。粉雪だと全然駄目だね。鍋一杯につめこんだのに溶かしたらコップ一杯もない。愕然として再度雪をつめにいく。小屋の客がポリ袋で雪を詰めているのを見て、そういうことかと反省した。
晩御飯はわかめ御飯。小屋で買ったビールも結局さっさと飲んでしまった。天気予報は明日の午前中までは雪と言っている。やっぱりやることがないのでさっさと寝る。 雪が降っているのと雪かきを気をつけなればいけないなあと思いつつ。やはり山の生活も二日目になると慣れてくるので平気な感じだ。
夜寝ているとテントの音がおかしくなってくる。風が吹いたときにバサッ、という異音になってきた。何が起きたのかと様子を見る。雪が詰もった様子もなく…テントの結露が完全に凍りついていた。全体が凍ってしまい…。ひどいものだ。気温が下がっている。テント内がマイナス10度。ちょっと換気をよくするとマイナス15度ぐらいまでにはなる。冬型が来ると言っていたが…。なかなかきついな。入口のジッパーも固くなるし。幸い完全に固着して開かなくなるというところまではいかなかった。いろいろなことが起きるものだ。
mod_rewriteで調整
blogのURLが変わったのをmod_rewriteで調整した。
Plone4に入れ替えたタイミングでblogのURLが変わった。以前はpath traversalのために前は記事のURLが /blog/archive/2010/01/23/hogehogeという形式だったが /blog/hogehoge に変わってしまった。Not Foundが連発するのでredirectするように mod_rewrite を使った。
RewriteRule ^/blog/archive/\d\d\d\d/\d\d/\d\d/(.*) /blog/$1 [R]
ということである。
西穂・雪中キャンプ一日目
西穂山荘前でキャンプしてきた。冬山の色々な経験。
今回のミッションは西穂山荘で二泊三日のテント生活をすること。冬山で起こる様々なことを体験し、追加として西穂独標まで行ってみるというのがあった。そこから先は難しいので避ける。大体冬山に行ったことのない自分が一人で行ってみるというよく考えれば恐しいというか無茶な計画である。 もちろん小屋前テントなのでどうにもならなくなったら小屋に逃げこむというエスケープが用意されているというのはあるが。今回の山行ではほとんど移動していない。どこかのピークに立った…などいうのはない。主に雪上での発見・失敗などのことが主になる。
早朝出発し電車とバスを乗り継ぎさらには新穂高のロープウェーに乗り駅から下りて登山口に到着。この時点で出発して7時間。遠い…。アイゼンを装着、ストックを用意、グローブなどの防寒着を装備して14時に出発した。登山口はわかりやすくなっているはずだから…と聞いていたがここまでしっかりとした道ができているのか…と思ったらこれは観光客用の散歩道だった。しばらく歩くとほんとの登山道が開始。だがかなりの登山者が行ったあとなのだろう、かなり踏み固められた道で歩くことに難しさはない。こうなると夏の登山道よりよっぽど楽である。同じ感じの道が続くだけ、ぐらつく岩も滑りやすい砂地もない。ただ踏み跡をはずすと足が深く埋まる。ほんとはこういうことなんだろうな…。
赤テープが数m置きにあるので迷うこともない。しばらく登ったり下ったりを繰り返すと上のほうに山小屋の姿が見えた。この日はきれいな青空が広がっていたためよく見えた。時折西穂の稜線も見えただろうか。そのまましばらく歩いていくと道の雰囲気が変わり、登りが続く道となる。このペースであと1時間ぐらい頑張ればいいのだろうと思いつつ歩く。時間だけは午後だが、この日は動きだしたばかり、息が上がる。登りは続くがキックステップを使うような羽目にはならない。下山する人や、早いペースで行く人とすれ違いながらも歩いていく。小屋の姿が見えてはこないのでどこまで続くのかわからなかったのだが歩き始めて1時間半も経たずに小屋に到着。
大きな雪だるまが見えて、ああ、あれが写真で見たやつねと思いながら小屋への道を下る。雪だるまを背景に記念撮影をすませたあとに小屋でテントの受付をすませる。そのあとテント場に下りる。すでにテントがあった。まあ、こんなところだろうと適当に場所を決めてテントの準備を始める。足で踏み固めるんだっけ?踏み固めたり、スコップで雪を掘ったり…よくわかってないので他の幕営する人の様子を横目で見ながら作業をしていた。あんなに風避けを作るんかなあとか思いつつ。
この時点で中ぐらいの失敗をする。整地が不十分だった。すぐに気がつく。結局テントの中は段差がひどくて寝心地は悪いし物は転がるしでひどいことになった。 日に日に進行していってどんどん滅茶苦茶になった。整地はもっともっとこれでもかという感じにやらないといけなかったのだろう。あるいはもっと掘り返すか。
いよいよテントの展開。この日は風はなかったので適当でも大丈夫だったのだろうが一応正しい手順を踏もうとした。だがかなり面倒…。テントを広げて、ザックを放り込んで、アンカーをきちんと準備して…。それでも実際の作業にはかなりのアラがあっただろうな、気付いてないだけで。外張りでなくフライシートを張って、中で作業。銀マットをひっぱりだすのも大変だ。そして中でマットを広げて荷物を出して…床が沈むのを感じて失敗を感じながら…なんとか荷物を広げる。時間がかかって仕方がない。2時間ぐらいかかる。こりゃダメだな。
設営中に登山者に20代の女性らしき7〜8人の集団を見た。なぜかテレビクルーがついていた。ついに山ガールを冬山に連れてくるとかいう企画なんだろうか。設営に必死であまりそっちのほうを見ている余裕はなかった。
晩御飯の準備をしなきゃいけない。その前に小屋でビールを買ってくる。今回は酒を飲むのもやろうと。テントを出たり入ったりするのも面倒だ。雪をあつめるのに外に出る。テントシューズがあるからかなり楽にだとは言え…。雪を溶かして水を作る。1リットルぐらい作ったら朝まで持った。ここはスムーズにやれた。
晩御飯はスパゲッティ。半分に折ってもちょっと長かった。もうもうと湯気が上がる中の調理となった。味噌汁も作り、晩御飯終了。ビールを飲む。酸欠にはならないようにねーと気をつけながらの作業となる。
テント内の気温は当然低い。ストーブなりランタンなどの火を扱っていると10度ぐらいになる。消すとそのうち−5度ぐらいまで下がる。何もしてなくても自分の体温である程度は温まるよう。低温のためのいくつかのトラブル。まず結露。なんでもかんでも結露する。テントの内側はそうだし、ガスカートリッジもコッヘルも。手袋を吊り下げておいたら朝には霜が下りていたし、眼鏡も凍りついていた。ガスは当然冬用のものを使っているので出ないなんてことはないのだが、ライターには気付かなかった。点火器がついているので大丈夫なんだがライターが使い物にならなくなった。そもそもガスがシューとも言わなくなった。服のポケットの中で温めておかないと駄目だった。電池の消耗も早い。ヘッドランプの電池が使えなくなった。新品を持っていってよかった。携帯の電池も消耗が激しいようだ。携帯と言えばここではソフトバンクですら繋がった。もっとも微妙な加減があって、テントで寝ているときには繋がらない、上に持ち上げると繋がるという具合だった。
しばらくランタンをつけてラジオを聞いている。まあ、そろそろ寝るかとランタンを片付ける。ふっと気付く、このとき最大の失敗をした。ランタンはまだ冷めてなかった。壁際に置いたランタンが熱でテントを溶かしていた。大穴が空いていた…。これは大変なことになったと。持ってきた補修テープが活躍…あまりうれしくはないが。外からも貼るのは面倒な作業となった。酔って火を扱うのはあまりよくないなあと反省。今後はテントに貼られた補修テープを見る度に思い出すのだろう。
シュラフを用意して寝る。外では小屋の客が星がどうのオリオン座がとか話していた。星空には気付いていたがこちらは眺めにいくほどの余裕はないですよ…。寒さは感じない。防寒は十分なようだ。靴は外に出してはいけないことに気付く。最初外に出していた。フライシートをくぐりぬけて中に雪が入りこんでいた。どういう加減だろう。
2011
2011年です。
今年も、年賀状もおけおめメールもやりません。
ところでこれは2011年にきちんと公開されるんかしらん。
Plone 4
Plone 4を入れたよ。
東京に行かなかった時間を利用して一気にPlone4の調査を進めて移行をした。Quillsだけが問題だったが強引なやりかたで解決した。デザインがデフォルトの物からロゴを変更しただけだが動いたので移行。適当に手順を書く。 以前のサイトがアップグレードを繰り返し変なパッケージのゴミが残ってうっとうしかったのもあって一気に整理することができた。めでたしめでたし。
- 現行のPlone 3にquintagroup.transmogrifier を導入してコンテンツを全部エクスポートする。
- ダウンロードしたファイル(tar.gz)を展開してWeblogEntryとなっていたりするところを全部Documentに書き直す。
- 新しいPlone4のサイトを用意。
- 同じくインポートをする。
- あとは頑張って調整する。
これでできあがり。
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JAXAiの閉鎖にあたり
本日20時をもってJAXAiは閉鎖。
閉鎖にあたり東京に行って最期を見守りたかったが残念なことに行けず。あかつきくんツリーの実物を見ることは叶わなかった。もうちょっと気合を入れて準備をしていればよかった。結局一度しか行けなかった。JAXAノートにはやぶさへ贈る言葉を記した6月。
さて、あの事業仕分けを擁護する気は全くないのだが、自分がJAXAiを訪れたのは仕分けで話題になってからだった。東京駅を使う機会は年に数回はあったが気付くことはなく、実際に訪れてみたときに展示物が満足できるレベルにはなかった。そのあたりは広報体制が不十分だったとは思う。
現在のところJAXAiの後継施設の予定はない。その予算はより効果的な広報施設を目指すためではなく単に子ども手当に消えただけのようだ。できればまた別の形で一般の人が気軽に寄れる場所にもっと良い広報施設が作られることを望む。筑波では遠すぎる。でも結局東京近辺は自分は気軽に行けないんだけどね。
JAXAiが終わってもJAXAと日本の宇宙開発が終わるわけじゃない。ありがとうJAXAi。また会う日まで。
今年の6月の写真。